2012年9月1日土曜日

Vol.16 「unforgettable landscapes#1 (pigeon loft)」


日時 2012.9.1
展示タイトル(期間):unforgettable landscapes#1(pigeon loft) (2012.8.29 - 9.2)
展示作家:坂本夏海
参加者(敬称略):村田弘子、池田哲、カタリナ・テュカ、ジェレミー・ベーカー、サム・ストッカー、他作家友人多数(のべ20名ほど)
司会:進藤詩子    
記録:椛田有理


作家による展示解説>
「インタビュー」という手法によって得られた題材を発展・展開させることで他者の“記憶”を描いている。今回の場合、具体的にはある人物(作者の友人)の亡くなったおじいさんの鳩小屋の話を題材に、話から想像を膨らませて描いた作品と、インタビューで得られた「鳩小屋」というキーワードに絞り、それをネット検索などを用いて得られた画像を基にした作品の二種類を展示している。話からダイレクトにイメージを膨らませた作品は大ぶりのもの。小品は派生するイメージのものと、作品の大きさを明確に分けて展示することで明快な差別化を図っている。
今回までの制作では自己の原風景・内的な記憶を題材としてきたため、この他者の記憶を追跡するインタビューという”外的“な手法は本展覧会が初となる。今までの己を対象とした内に籠もる制作よりも、他者を題材とした今回の制作の方が他者である鑑賞者にはより理解しやすいだろう。
ビデオやパフォーマンスなど、ペインティング以外の手法を多く手掛けていたため、ペインティングは久しく制作していなかった。だからペインティングならではな意見を聴いてみたいと思う。

<意見交換>
サム:建物(=鳩小屋)の記憶と言うが、「建物」そのものが抱える記憶か。建物にまつわる記憶か。
坂本:他者の記憶の風景が建物であった。(絵では「建物」の抱える記憶も同時に描いていたことになる...)
自分が行ったことのない場所を描くには、外的な情報資料が必要だった。
それでネット検索などで調べたのだが、戦時中のスパイ鳩、台湾の鳩小屋など具体的なまま描いている。
進藤:タイトルの“Landscape”の解釈とは?
坂本:インタビューは他者の記憶の追体験に他ならない。人の記憶はその人自身の体験に裏打ちされ、それはその人が見たであろう光景=Landscapeを包含する。
過去に誰かを追いかけるパフォーマンスのビデオ作品を制作したことがあるが、もともと誰かという他者を追跡するということには興味をもっていた。

ジェレミー:何故ペインティングのみなのか。過去には他のメディアも扱っていたが?
坂本:準備期間など、制約があったということもあるが、今回求めていた、ひとつのモチーフ(鳩小屋)に対して複数の視点を共存させるにあたり、ペインティングという手段は適していた。
カタリナ:イマジネーションのもとに描かれているものと、何か具体的な対象があって描かれているものの二種ということは説明を聞かずとも見ただけで判ったが、二種のペインティングに物理的な大小の差をつけたことがそうした差をより分かりやすく提示したのだろう。
進藤:何故異なる世界を表わすイメージを混在させたかったのか。
坂本:そうすることでパーソナルな内的な記憶から、異なる人間の記憶へと繋がると感じた。
人が世界の殆どの風景に足を運んだ経験がなくともそうした光景を包含した“世界”のイメージを持てるのは、他者の提示する外的な情報によって内的な“世界”というイメージは拡張されているからだろう。
ジェレミー:夢と現が混ざったかのようなペインティングに対し、音への加工が無いのはもったいないのでは。サウンドの持つ可能性を感じる。
坂本:音の加工については考えてはいなかったが、ペインティングという分野は音を排除したがる傾向にあると経験的に感じていることも作用しているのだろう。音については今回は無い状態をベースに考えていた。
進藤:現時点では音は副次的な要素か?
坂本:現時点では。

作家友人:自己の記憶ですら(制作時に)脚色しているが、他者の記憶の脚色の場合、それは異なるのだろうか。
坂本:その点については変わらない。どちらも他者に見せる、他者の経験になるという前提で制作しているので制作の上では感情を極力排除している。表面的な色やイメージは異なったが、作品を作り上げるメソッド自体は同じ。
進藤:他者に共感されるために他者の記憶を用いたのか?
坂本:はい。
進藤:実際には制作者が話者にまず共感があったから制作したのでは?
また鑑賞者にとって作者の内的な記憶と他者の記憶とに違いは無いのではないか。
坂本:実際今回は共感のある対象にインタビューを行ったが、目指す方向としては作品に自己を対象とした内的な制作では得られない匿名性を求めている。この匿名性は、作者として共感のできないような対象を含む不特定多数にインタビューを行うことによって顕著になるものだと思う。
話者:自分のインタビューが具体的にどう反映されたのか、“共感”出来ているわけではないが、この作品はあの話が基となっている、と見てとれる作品はあり、そうした“発見”は感慨深い。
進藤:自分の話からできたように感じられない作品はあるか。
話者:あります。


記録後記 
今回の展示・制作を深く掘り下げるよりも、作家の制作の全体像を浮かび上がらせるものとなった。当初作家が期待していたペインティングならではという意見は結果乏しくなったが、そもそも発言者にぺインターが少なかった。ぺインターの参加者からの活発な発言を掘り起こせたなら、より深い議論へと発展できたのではと思う。

2012年6月9日土曜日

Vol.15 「空間越え」


日時 2012.6.9
展示タイトル(期間):空間越え(2012.6.2.-6.10
展示作家:宮坂直樹
参加者(敬称略):バート・ベンショップ&レオンティン・リーフェリング(エアー1)、村田弘子、村田達彦
司会:進藤詩子
記録:椛田有理
 

<作家による展示解説>
研究”発表の場であるというスタンスで、独自に拡大解釈した意味での空間”への関係性を研究・発表している。ここで言う空間”とは、人間は常に知覚的に空間体験をしている、という文脈での空間であり、宮坂の”空間越え”という展示タイトルは知覚的な経験に依らない空間体験、つまりは知覚への依存からの離脱を目指すものである。

展示に際しては、一つの大きなオブジェクトを主体に補足的な作品群―展示マケット、展開図、設置したカメラからのリアルタイムな映像など―を小部屋に展開し、「説明的」な構成を心がけられている。会場のマテリアル、建築的比率から作られたコンクリートのオブジェクトの上部にはカメラが取り付けられているが、それはオブジェクトのエッジの直線上に配してあるため、ディスプレイに映し出される像は最上部の平滑な面のみである。また、カメラを使用する理由として、人間の近く機能の外を捉えるからというよりは、人間の知覚機能の延長として使用されている道具だからである。スポットライト等による人工光は排し、自然光のみの見せ方を採用しているが、それは建築空間内に於ける光・人の通り道という観点をより強調する。
                                            
 <意見交換>
弘子:カメラという媒体を介しての光の捉え方や、場に合わせた立体というものは興味深い。克つて矢部史朗という作家が2003年に似た様な観点の仕事をしたことがある。宮坂の手法に比べ矢部は会場で作ったので微調整等が易かっただろう。
 達彦:実験ギャラリーとしての機能を謳歌した、という所感。印象としては立体を用い虚”を表そうとしている様に感じた。日本的な感覚だから、空間越え”は英訳が難かったのではないか。また、カメラの扱いがふざけていて面白い。まるで何も映していないようだ。(天頂部が開口しているという前提で→しかし閉じられていた)
 Bart:カメラのパースペクティブを意識して用いているようだが、結果的に見せているのはフラットな天頂部だけなのか。立体の稜線を映したりはしないのか。 
 Leontine;説明的なパートもメインである立体と一体となった展示となっている様に思う。また、それぞれもつ静的/動的などの多様な要素がこの展示をリッチなものにしているように感じる。しかし当初の計画では別物であったようだが、その点についてはどうだったか。
宮坂:この展示は鑑賞の為ではなく、説明する為の場であると考えている。だからこそ研究”という言い方を用いているのだが、しかし結果的には美術的”にまとめあげた感はある。


Leontine:研究発表の場を求めているのであれば、美術的”なものを鑑賞する為の場として在るギャラリースペースよりも、たとえば屋外等の方が好ましいのでは。
宮坂:ギャラリーという建築空間はかなりミニマルであるため、考え易かった、というのはある。しかし正直「ギャラリーはアートを鑑賞するところ」という点については失念していた。
Bart:研究成果報告書のようなものは作成するのか。(→作成する事に)
椛田:研究発表”というスタンスであるならば、たとえば学会での発表などのほうがストイックであるように思えるが、その美術的”な方向へのブレが結局のところ展覧会を成り立たせている様にも思える。
宮坂:自分の研究発表”とは具体的なモノで提示する事が重要であるため、プレゼンテーションのみという在り方は好ましくないだろう。
進藤;世界的な現象として、こうした研究”という在り方、従来の”展示”という在り方への懐疑があるが、日本の作家のそうした活動を見れた事は興味深い。
達彦;200Kgの作品が与える床への影響がシンパイ。


記録後記
具体的な作品への意見/質問と同量程度に「研究」への意見/質問が多くを占めた。
今回のセッション参加人員は遊工房スタッフとレジデンスアーティストと作家本人という最小に近い単位での開催だったが、コンパクトなぶん十分な意見交換を行うことができたという感触。とはいえBartLeontineの積極性と、作家の話が論理的であった事は潤滑な進行に大きく貢献しているため、一概に一般論化は出来ないだろう。

2012年5月12日土曜日

Vol.14 「1944年と2012年」


日時: 2012.5.12
展示タイトル(期間):「1944年と2012年」(2012.5.3-5.13
展示作家:わたなべ詩子
参加者(敬称略):
村田弘子、レオンティン・リーフェリング&バート・ベンショップ(AIR1)、サム・ストカー(作家)、本間哲郎(先端卒生)、村上郁(作家)
司会/通訳:進藤詩子 
記録:椛田有理、進藤詩子


テクスト、絵、映像、椅子机、と多くのレイヤーを持つ一方、シンプルで印象深い仕上がりに成っている今作。今回の構成についてのアーティストの意図を探ることからセッションを開始。「個展ができるという機会に、一旦全てをスペースに置いてみて、それから差し引くという手法をとった。もっとゴチャゴチャしても良かった位。テクストと絵、映像を一同に介させたかった。」わたなべ。

わたなべの展示後の実感は、「次は映像に集中してスクリーンに映すなどノーマルな形で見せたい」に対して、鑑賞者から多数、要検討の反応。「今回の(探求)という印象を与える面白さが(完成品)になってしまうと失われるのでは」(バート)、「沢山のメディアを混在させていることで、観る側として考えさせられる、入っていける。可能性の空間が広がる。1つのディスプレイにした場合でも、それを残すやり方であるべき」(サム)。わたなべも「成る程」とアドバイスを受け止めた。

作品のモチーフについて、「戦争をテーマとしているのか」(バート)、という多数の質問に対し、「歴史といううねりや出来事に出会った時の個人の受け止め方、それにまつわる話、が私の中のテーマの一つです。中でも、悲しいのに面白い、面白いのに哀愁が漂う話と話し手、にポイントがある」ストーリーを集める相手は60歳以上が主で、「個々人の思いがテーマであり、ストーリを探すというより面白い語りが出来る人間を探しているようだ」(弘子)という洞察にわたなべも同意。知り合いとの自然な会話からストーリーを集める為、インタビューして素材を集める訳ではないので、制作には時間がかかる。故に「わたなべの人柄もにじみ出る作品になっている」(本間)と旧友から。また、歴史的大きな出来事が、古ければ古い程、観る人は共感度は下がるので、作品の設定(若い人が年寄りの話を自分のこととして語る)という面白さが浮かび上がるのでは。(例えば昨年の震災は扱うよりも)」(椛田)という洞察も、作者は同意。勿論古いといっても話し手が生存している時間軸の中に限られています、江戸時代とかそういったのは違います。

映像の中の語り人の位置として、「語る人は、わたなべさんがストーリーにあわせて描いた絵を見たことがあるのが。演者が描いた絵を見せる方が、シンプルで伝わり易いのでは?」(池ケ谷)というコメントに対し作者は「試してみたい」。「自分とは別の人の話を誰かにしている内に、いつの間にかその人の気持ちになってその人になったように話してしまう、という感覚に近い。だから意外に違和感がない」(進藤)という見方も。「見る側は、ストーリーや演者が、わたなべさんの知り合いの中から出ている、ということを知るべきなのか?」という質問に対し、作者は「鑑賞者がそれを知る必要はなく、ただ若い人が世代の違う年配の方の話をしている、という理解でかまわない」と。
最後に、この作品はこれで完結だが、この方向で継続してやる予定。「一人の話者を予定してるか」(弘子)に対し、「むしろもっと多くの人、より多様な背景を持つ人を出したい」と抱負を語った。



記録後記
参加者が全員アーティスト、ということで、展示の構成、作品の見せ方のについての建設的で鋭いフィードバックが実現した。また、参加者の世代や文化背景も多様だった為、コンテンツやテーマ性についても、様々な解釈、疑問、提案が出された。わたなべのアーティストとしての独自の制作へのアプローチが浮き彫りになり、また、今後の課題や方向性についても、参加者の質問に応える過程を通してより明確になっていったようだ。セッション後、わたなべさんから、とても有効な時間だった。自分の作品についてこのように話を持つ機会は少ないので、とコメントを頂く。司会の進藤は今回通訳をしながらの進行だったが、作家も参加者も積極的に話したセッションだったので難はなく。通常もなるべき進行は最小限に、自然発生的に対話が生まれ進むセッションになるのが理想。



2012年4月29日日曜日

Vol.13 「T/here」

日時:421日(土)4:00-4:45
展示タイトル(期間): T/here  (2012.4.5-4.29
展示作家:洗川寿華、マイク・チャン、クサナ・クドリャツェフ・ディミルナー、イバン・マリティネズ&ジョシュア・トゥリーズ、クリスター・オルソン

 参加者(敬称略):
洗川寿華&クリスター・オルソン(企画・展示者)、バート・ベンショップ&レオンティン・リファリング(レジデンス1)、サラン・ユコンディ(レジデンス2)、堀江映予&武田友理(交流基金)、村田達彦、村田弘子、椛田有理、進藤詩子(スタッフ)、進藤雅子(一般) 
司会:進藤詩子 
記録:椛田有理、進藤詩子、ジェイミ・ハンフリーズ

企画者による企画の解説
2000年代半ばから後半にかけ、LAで活動を共にした作家達は、現在世界のあらゆる場所へと散り、活動をしている。その状況を捉えることを出発点に、葉山プロジェクトを立ち上げ、場所と時間への考察をテーマにT/hereという企画を立ち上げた。T/here、展示とマガジンの出版を目的にしたもので、マガジンの位置づけは展覧会カタログ(作品解説)ではなく、共通したアイディアについての考察がされている文章から成り、開催地以外(海外を含む)にも配布されている。日本において、コマーシャルではなく、且つ、貸しギャラリーでもない場所を見つけるのは簡単ではないことを考えると、遊工房は展示に適した場所で、かつ遊工房のミッションと、今展の内容やオーガナイズの方法は相性がとても良いと言えるだろう。

企画者による作品解説とQ&A>
Flamingos Foreverbyイバン・マリティネズ&ジョシュア・トウリーズ
イバンの出身地、ベネズエラの文学の特徴と言える、時間を非直線的/継続的に捉える姿勢と、シカゴ出身のジョシュアの洗練されたヴィジュアル感覚が生かされている今作は、映画化に居たらなかったジョン・ウォーターズの脚本にヒントを得てストーリーを構想した。アプロープリエーションの手法で、オンラインで入手したマイアミ警察撮影の犯罪者写真やホテルの画像をキャラクターやロケーションに置き換え、量子論に沿った形で複数の物語が交差されていく。反転したかの様な非現実的なホテルの画像などが繰り返される今作は、‘可能な未来’を見せつつ‘選択という行為について沈想している。
文脈的には必ずしも日本の観客が分かり易いとは言えないが、オブジェクト、ビジュアルの観点から積極的に鑑賞されていたようだ。古いプロジェクターが撮影用のカメラを示唆したり、映像が投影される木の板が窓を塞いでいるのも象徴的だ。

untitledbyクサナ・クドリャツェフ・ディミルナー
動くオブジェのポートレイトをコラージュ又はドローイングするクサナ。ベルリンからL.A.の移住によって、彼女の制作環境は大きく変わった。公共機関で移動が可能なベルリンに対し、L.A.は高速での車の移動なしでは、人は孤立感を覚えざるを得ない。繰り返されるパターン、執着して塗り重ねられたワックスベースの色鉛筆の筆跡は、彼女の置かれた状況が反映されていると言えるかもしれない。
バート(参加者)の高速道路からの撮影に限定した風景の作品も、表現は異なるが、現代社会の速度、時間のプログレスを同様に反映しており、繰り返し移る類似した建造物も見える。又、コラージュが彼女の手法として知られているが、ドローイング作品においても、前後の動きを想像させられる構造や基礎にあるコンセプトは変わらない。

Room2 (After Dawn of the Dead)by マイク・チャン
消費社会を批判したゾンビ映画「Dawn of the Dead」がモチーフ。映画の中で、ゾンビに追い詰められてショッピングモール内の倉庫に閉じ込められた買い物客は、やがて段ボールを積み上げ家具や生活用品を模し、皮肉にも消費社会の代替となる暮らしを作り出す。マイクは、映画の主人公と現代アーティストを対応させる。アーティストは、スタジオという一見すると現実世界と隔離した空間に身を置き、理想主義的な表現を追求する時代は終わった今、現代社会に関わる作品を作れるだろうか?台湾出身のマイクはCalArtsで修士号を取得した後、シンガポールに移った。都市空間の中にある孤島のようなスタジオ空間を舞台とし、撮影された今作。コンセプトから作品を構築させるマイクらしい、答えを見つけるのではなく考え問い続けるという姿勢が、登場人物(作家本人)から伺える。或は漂流者にも見える。喪失感、無表情、といった傾向はまた、今展覧会で捉えられた人物像に共通しているようだ、そしてLAのある若者世代の表現の特徴とも言えるかもしれない。アーティストという職業の役割、営みを問うならば、例えば、遊工房のレジデンス作家に、生活者としてのアーティストという考え方を大事に滞在制作を行ってもらう、というコンセプトと、今作の設定と比較して考えるのも、面白い見方かもしれない。
Pumpby 洗川寿華 
インドアビーチやディズニーランドに代表される人工的な風景を描くジュカ。彼女にとって、劇場的な空間やステージと化すこれらの風景は、人々の想像や期待を明示しており、その中では、乱れない波の動きや人間の振る舞いがまるで永遠に繰り返されるようだ。
フレスコの様な色調、とコメントが出たが、彼女のペンティングのパレットは抑えた色調で、それは人工的な空の色、あるいは人によっては夢の中の色のようにも受けとれたようだ。実寸に近い大きさも、臨場感を演出あるいは示唆し、効果的だ。現実でも非現実でもない境界に存在する風景を、ペインティングというメディアに定着させる作業は、同時に、ペインティングという人工的なフレームの中に再現された世界を構築する行為とも言えるかもしれない。例えば、空の絵(ペインティング)を部屋に飾ることで仮想の自然空間を実現しようとする人も居るだろう。絵画が描くイメージ、絵画そのものの実世界における立ち位置についても、考えさせられる。
Easy Targetby クリスター・オルソン
横浜の古い民家に移り住んだクリスターは、日々、目に見える量で積み重なっていく埃に気付いた。そして、時間を所有するという概念を沈想する行為として、一年間、家の埃を集めることにした。ドメスティックな空間に対する、アート作品の箱の中という空間。長い足に支えられ高所に位置する神棚/神社のような箱に対し、地べたに置かれたドメスティックでノスタルジックな収納箱。外と中、上と下、といった関係性を暗示しつつ、見せ方のバリエーションも場所や状況によっては異なるだろう、という今作。一年という時間に凝縮されたドメスティックな日常とアーティストとしての日々の営みについて、どこまでコントロールができ又するべきなのか、どこまでは共有されそしてどこからが境なのか、作者も見る者も、クリアーな判別をすることは出来ないだろう。箱の作られ方も、ミニマルな基本構造を強化せざるを得ない状況におかれる毎に、パーツがまた1つ、更に1つ、と加わって行き、完成系へとは、半ば偶然的に誘導されたという話も、今作の常にプロセスされ得る、変化の状態である、という特徴を物語っている。


記録後記
セッションを終えて、「現実世界の反映」というテーマが浮かんだ。それは、身体的観察が体現された紙面、物語という虚構、人工的空間というステージ、スタジオ空間、彫刻的空間といったメディアを介して、各作家それぞれのアプローチで探求されているようだ。そして、上記のメディア自体の現実世界に置ける立ち居値、存在意義についての考察も示唆されている。
又、共通した姿勢として「繰り返す」という行為があるようだ。それが漠然とした全体から部分へと視点を誘導し、又、作家各々が暮らす場所の現実もにじみ出ていると言えよう。それは、アーティストは表現者である前に、自らの日常を出発点に、観察、考察する者であるという定義の証の1つともいえよう。そういったアーティストが製作する場合、芸術は虚構の世界ではなく現実世界と地続きである、という考えは、実践に移されているはずだ。
遊工房は、真摯にアーティスト活動を行う作家をサポートするというミッションを持つが、真摯な作家とは何か、という問いに応える作家による企画展だったと捉えられる。
引き続き必要な考察としては、今展のように、日本という文化背景に親しい観客にとって、文化的背景を共有しない作家達の作品に対し、どこまで作品に関与し、鑑賞し、考察を膨らすことが実際に可能か、という点だ。また、困難ならば、どのようなサブサポートが必要か、或は否か、など。そして、理解を深めるにあたり、今回の展示においてマガジンが果たす役割など、考察が続く。

2012年3月25日日曜日

Vol.12 「スペース・ホームレス・パビリオン」&「Living Winter, Dreaming Spring」

日時 2013.3.25  

展示タイトル(期間):スペース・ホームレス・パビリオン2012.3.18.-3.25 
展示作家:アマンダ・リッフォ
展示タイトル(期間):Living winter, Dreaming spring2012.3.11.-3.25 
展示作家:ニール・マロン
参加者:村田弘子、太田エマ、鈴木慶子  
進行:ジェイミ・ハンフリーズ  


2012年3月18日日曜日

Vol.11 「終日二十三区」

日時 2012.3.18  
展示タイトル(期間):終日二十三区 (2012.3.11-3.18)
展示作家:守章 

参加者(敬称略):ニール・マロン、大田エマ、村田弘子、村田達彦、O Jun、他
進行:進藤詩子   




 

2012年3月4日日曜日

Vol.10 「Grandmother's Flower Garden」

日時 2012.3.4 
展示タイトル(期間):Grandmother's Flower Garden (2012.2.29-3.4)
展示作家:シャーリー・チョ
参加者(敬称略)ニール・マロン、アマンダ・リッフォ、奥園優(作家)、大田エマ
進行:進藤詩子