2012年9月21日金曜日

Vol.17 「佐藤譲二個展」&「These Fleeting Few」&「スギナミ スカイ」

日時 2013.9.21
展示タイトル(期間): 
「佐藤譲二個展」(2012.9.5-23) & 「These Fleeting Few」(2012.9.19-23) &「スギナミ スカイ」 (2013.9.12-23 
展示作家:佐藤譲二、カタリナ・テュカ、ジェレミー・バッカー
参加者:村田弘子、サム・ストッカー、その他作家友人多数
進行:進藤詩子 
記録:椛田有理

2012年9月1日土曜日

Vol.16 「unforgettable landscapes#1 (pigeon loft)」


日時 2012.9.1
展示タイトル(期間):unforgettable landscapes#1(pigeon loft) (2012.8.29 - 9.2)
展示作家:坂本夏海
参加者(敬称略):村田弘子、池田哲、カタリナ・テュカ、ジェレミー・ベーカー、サム・ストッカー、他作家友人多数(のべ20名ほど)
司会:進藤詩子    
記録:椛田有理


作家による展示解説>
「インタビュー」という手法によって得られた題材を発展・展開させることで他者の“記憶”を描いている。今回の場合、具体的にはある人物(作者の友人)の亡くなったおじいさんの鳩小屋の話を題材に、話から想像を膨らませて描いた作品と、インタビューで得られた「鳩小屋」というキーワードに絞り、それをネット検索などを用いて得られた画像を基にした作品の二種類を展示している。話からダイレクトにイメージを膨らませた作品は大ぶりのもの。小品は派生するイメージのものと、作品の大きさを明確に分けて展示することで明快な差別化を図っている。
今回までの制作では自己の原風景・内的な記憶を題材としてきたため、この他者の記憶を追跡するインタビューという”外的“な手法は本展覧会が初となる。今までの己を対象とした内に籠もる制作よりも、他者を題材とした今回の制作の方が他者である鑑賞者にはより理解しやすいだろう。
ビデオやパフォーマンスなど、ペインティング以外の手法を多く手掛けていたため、ペインティングは久しく制作していなかった。だからペインティングならではな意見を聴いてみたいと思う。

<意見交換>
サム:建物(=鳩小屋)の記憶と言うが、「建物」そのものが抱える記憶か。建物にまつわる記憶か。
坂本:他者の記憶の風景が建物であった。(絵では「建物」の抱える記憶も同時に描いていたことになる...)
自分が行ったことのない場所を描くには、外的な情報資料が必要だった。
それでネット検索などで調べたのだが、戦時中のスパイ鳩、台湾の鳩小屋など具体的なまま描いている。
進藤:タイトルの“Landscape”の解釈とは?
坂本:インタビューは他者の記憶の追体験に他ならない。人の記憶はその人自身の体験に裏打ちされ、それはその人が見たであろう光景=Landscapeを包含する。
過去に誰かを追いかけるパフォーマンスのビデオ作品を制作したことがあるが、もともと誰かという他者を追跡するということには興味をもっていた。

ジェレミー:何故ペインティングのみなのか。過去には他のメディアも扱っていたが?
坂本:準備期間など、制約があったということもあるが、今回求めていた、ひとつのモチーフ(鳩小屋)に対して複数の視点を共存させるにあたり、ペインティングという手段は適していた。
カタリナ:イマジネーションのもとに描かれているものと、何か具体的な対象があって描かれているものの二種ということは説明を聞かずとも見ただけで判ったが、二種のペインティングに物理的な大小の差をつけたことがそうした差をより分かりやすく提示したのだろう。
進藤:何故異なる世界を表わすイメージを混在させたかったのか。
坂本:そうすることでパーソナルな内的な記憶から、異なる人間の記憶へと繋がると感じた。
人が世界の殆どの風景に足を運んだ経験がなくともそうした光景を包含した“世界”のイメージを持てるのは、他者の提示する外的な情報によって内的な“世界”というイメージは拡張されているからだろう。
ジェレミー:夢と現が混ざったかのようなペインティングに対し、音への加工が無いのはもったいないのでは。サウンドの持つ可能性を感じる。
坂本:音の加工については考えてはいなかったが、ペインティングという分野は音を排除したがる傾向にあると経験的に感じていることも作用しているのだろう。音については今回は無い状態をベースに考えていた。
進藤:現時点では音は副次的な要素か?
坂本:現時点では。

作家友人:自己の記憶ですら(制作時に)脚色しているが、他者の記憶の脚色の場合、それは異なるのだろうか。
坂本:その点については変わらない。どちらも他者に見せる、他者の経験になるという前提で制作しているので制作の上では感情を極力排除している。表面的な色やイメージは異なったが、作品を作り上げるメソッド自体は同じ。
進藤:他者に共感されるために他者の記憶を用いたのか?
坂本:はい。
進藤:実際には制作者が話者にまず共感があったから制作したのでは?
また鑑賞者にとって作者の内的な記憶と他者の記憶とに違いは無いのではないか。
坂本:実際今回は共感のある対象にインタビューを行ったが、目指す方向としては作品に自己を対象とした内的な制作では得られない匿名性を求めている。この匿名性は、作者として共感のできないような対象を含む不特定多数にインタビューを行うことによって顕著になるものだと思う。
話者:自分のインタビューが具体的にどう反映されたのか、“共感”出来ているわけではないが、この作品はあの話が基となっている、と見てとれる作品はあり、そうした“発見”は感慨深い。
進藤:自分の話からできたように感じられない作品はあるか。
話者:あります。


記録後記 
今回の展示・制作を深く掘り下げるよりも、作家の制作の全体像を浮かび上がらせるものとなった。当初作家が期待していたペインティングならではという意見は結果乏しくなったが、そもそも発言者にぺインターが少なかった。ぺインターの参加者からの活発な発言を掘り起こせたなら、より深い議論へと発展できたのではと思う。