2013年3月16日土曜日

Vol.21 「ジュンシとシザンのアドベンチャー」&「Nepal-ネパール」

日時 2013.3.16
展示タイトル(期間): ジュンシとシザンのアドベンチャー (2013.3.9-17)
展示作家:エリック・シレ
展示タイトル(期間):Nepal-ネパール (2013.3.9-17)
展示作家:マヤ・ラマ
参加者:展示作家、ズザナ・シレ、村田達彦・弘子、デイビッド・パッカー、マーガレット・ランゼッタ、サム・ストッカー、他  
進行:進藤詩子   
記録:太田エマ


<エリック・シレ>
エリック•シレは最初に、今回のレジデンスは、通常の大きなスケールでのペインティングの制作というスタイルではない展開となった点を説明した。3ヶ月という限られた期間を、大きな作品を作るより、小さな水彩画のシリーズを作るのに充てたことで、一つ一つのテーマを柔軟度の高いスケールで構想を練る機会となった。作品は未完了で批判される点もあるかもしれないが、本国に戻った後に更に発展させる予定だ。今回は、水彩画以外に、木材へのペインティング、ミニチュアのモデリング、コラージュ等の実験的な作品や、日本の大衆文化のイメージと伝統的な美意識をミックスするような展開を試みた。


本展のタイトルについて尋ねられると、エリックは、通常自分が聞く音楽の曲名から作品タイトル引用する事が多いと説明。今回は2007年発売のCocoRosieのアルバム「亡霊馬と死産の冒険」から引用し、17世紀頃は恋人の死を追って自殺する女性の死を意味した、日本の「殉死」 という言葉に入れ替えた。遊工房スタッフは、彼が日本文化の外側にいる人ゆえの、独特な解釈がJunshiに込められていたので、敢えて日本語訳では外来語にあてるカタカナ「ジュンシ」を使ったと解説を加えた。

近年、日本政府は日本の大衆の間で人気を誇るアニメやキャラクターを「クールジャパン」という日本文化のブランド化戦略に使っているが、エリックは、本作で日本文化を讃えるためではなく、新しい視点から風刺的に捉える為にこれらの人気キャラを利用している点が新鮮である、という発言がされた。

ギャラリーにて展示中のマヤ•ラマは、日本には社会の為に個人が犠牲に成ることを美化する歴史があるとした上で、エリックの作品には、日本の暗い面と明るいポップ名面が混ぜ合わさっている印象を受けるとコメントした。今まではスロバキアの大衆的なキャラクターをペインティングに登場させて来ており、またその他の文化的モチーフ、例えば水も多用している。(スロバキアでは、同じ湖に二度と足を踏み入れるな、という諺があるが、それは常に変化が必要であるという意味がある。)今回は、これらのモチーフに日本のキャラクターを足し合わせ、更に、日本の文化的そして実際の風景の中に文脈化していく試みになったと解説。特に、頻繁にイメージとして引用され、また、日本人の精神に特別な地位を得ている富士山の象徴性に強い印象を受けたため、作品に更に引用していった。他に用いた日本のイメージは、17世紀に描かれた横浜の絵画で、活火山の周りを水と伝統的な船が取り囲んでおり、原子力発電所周辺の海の放射線量問題をそのイメージに重ね、山を富士に、船を漁船に変えて本日の状況を反映させた。

今後もこのようなシリーズを続けるかという問いについて、帰国後は本作を発展させ予定されている多数の展示で発表したいと考えているが、常に自分が身を置く環境から影響を受けるので、ヨーロッパに戻ったらそこでの状況に必然的に反応していくだろうと答えた。また、10年振りに手にした水彩画の持つ可能性を再確認したので、今後も探求したいと考えていると語った。アクリルペイントでは、厳密でクリアーな画面を構成する手法をとっているが、水彩画はコントローし仕切れない部分が在り、それが雰囲気を醸し出し、異なるスタイルを表現することを可能にしたと感じている、とした。遊工房スタッフからは、いつもと異なる制作手法の発見に繋がったのは、レジデンスという機会だからこそ得られた一つの成果だったかもしれない、とコメントした。


<マヤ•ラマ>
本展について、マヤは大きく二つのパートに分かれていると解説。一つはペインティングの素材について扱っており、もう一つは制作のプロセスを取り上げている。木材に描かれる彼女のペインティングは、大部分の木目をそのままに残し、また、場所や記憶を記録する絵と交わる様に木目が生かされている。同時に、ペインティングをオブジェとして扱う試みがあり、よって、木製の棚に作品を置く展示方法をとっている。参加者からは、棚は既に作品の一部となっており、分け無い方が良いだろうというコメントも在った。

棚に付された作品のタイトルは、情緒や物語性を詩的にあらわしているという感想もあった。マヤは、幼少時代に過ごしたネパールでの出来事、同時の考えや思いが各ペインティングには反映されており、テクストは作品にもう一つの大事なレイヤーとして足されている、と解説した。参加したレジデンス作家からは、テクストの更なる生かし方があるだろう、とコメントがあり、直接ペインティングに書き込んだり、ネパール語を表象的なイメージとして使う等の提案が出た。なぜ日本の景色が描かれていないのか、という質問に対して、作家はネパールを離れて初めてこのような作品が生まれて来たと説明し、在る程度の距離をとることが、逆にクリアーなイメージを可能にしているのでは、と回答した。

引き続き素材についてディスカッションが交わされ、木目の美しさに気付いた作家は、塗りつぶすのは惜しいと考え、作品に沿う様に慎重に木版を選ぶ様になったという。店頭に並ぶ木材を使うのではなく、特注する方法もあるのでは、という提案に対しては、大量生産された製品も、アート作品に変換され得る可能性に、注目したいという思考があると返答した。

スタッフから、「ギャラリースペースは主にドメスティクなアーティストを紹介することになっており、‘日本人’ではないアーティストによる利用は数が少ない。しかし、マヤは日本で生まれネパールで育ちUSAで学び、そして近年日本に居住している、という現代の世界のダイナミックな流動性を体現するような背景を持っている。」という感想があった。アイデンティティーといのは大きな言葉であり、時に悩ましい言葉でもある、と作家。自分が多様な背景を持ち合せているため、各場所において簡単に帰属意識を持ることは難しく、HOMEがどこか見極めにくいと感じ続けている。‘ネパール’というタイトルは正面からそのような問題意識に向き合うマヤの意識の現れであり、それは当然ながら国を代表する表現ではなく、個人のある人生の経験について表現するものである。