2012年5月12日土曜日

Vol.14 「1944年と2012年」


日時: 2012.5.12
展示タイトル(期間):「1944年と2012年」(2012.5.3-5.13
展示作家:わたなべ詩子
参加者(敬称略):
村田弘子、レオンティン・リーフェリング&バート・ベンショップ(AIR1)、サム・ストカー(作家)、本間哲郎(先端卒生)、村上郁(作家)
司会/通訳:進藤詩子 
記録:椛田有理、進藤詩子


テクスト、絵、映像、椅子机、と多くのレイヤーを持つ一方、シンプルで印象深い仕上がりに成っている今作。今回の構成についてのアーティストの意図を探ることからセッションを開始。「個展ができるという機会に、一旦全てをスペースに置いてみて、それから差し引くという手法をとった。もっとゴチャゴチャしても良かった位。テクストと絵、映像を一同に介させたかった。」わたなべ。

わたなべの展示後の実感は、「次は映像に集中してスクリーンに映すなどノーマルな形で見せたい」に対して、鑑賞者から多数、要検討の反応。「今回の(探求)という印象を与える面白さが(完成品)になってしまうと失われるのでは」(バート)、「沢山のメディアを混在させていることで、観る側として考えさせられる、入っていける。可能性の空間が広がる。1つのディスプレイにした場合でも、それを残すやり方であるべき」(サム)。わたなべも「成る程」とアドバイスを受け止めた。

作品のモチーフについて、「戦争をテーマとしているのか」(バート)、という多数の質問に対し、「歴史といううねりや出来事に出会った時の個人の受け止め方、それにまつわる話、が私の中のテーマの一つです。中でも、悲しいのに面白い、面白いのに哀愁が漂う話と話し手、にポイントがある」ストーリーを集める相手は60歳以上が主で、「個々人の思いがテーマであり、ストーリを探すというより面白い語りが出来る人間を探しているようだ」(弘子)という洞察にわたなべも同意。知り合いとの自然な会話からストーリーを集める為、インタビューして素材を集める訳ではないので、制作には時間がかかる。故に「わたなべの人柄もにじみ出る作品になっている」(本間)と旧友から。また、歴史的大きな出来事が、古ければ古い程、観る人は共感度は下がるので、作品の設定(若い人が年寄りの話を自分のこととして語る)という面白さが浮かび上がるのでは。(例えば昨年の震災は扱うよりも)」(椛田)という洞察も、作者は同意。勿論古いといっても話し手が生存している時間軸の中に限られています、江戸時代とかそういったのは違います。

映像の中の語り人の位置として、「語る人は、わたなべさんがストーリーにあわせて描いた絵を見たことがあるのが。演者が描いた絵を見せる方が、シンプルで伝わり易いのでは?」(池ケ谷)というコメントに対し作者は「試してみたい」。「自分とは別の人の話を誰かにしている内に、いつの間にかその人の気持ちになってその人になったように話してしまう、という感覚に近い。だから意外に違和感がない」(進藤)という見方も。「見る側は、ストーリーや演者が、わたなべさんの知り合いの中から出ている、ということを知るべきなのか?」という質問に対し、作者は「鑑賞者がそれを知る必要はなく、ただ若い人が世代の違う年配の方の話をしている、という理解でかまわない」と。
最後に、この作品はこれで完結だが、この方向で継続してやる予定。「一人の話者を予定してるか」(弘子)に対し、「むしろもっと多くの人、より多様な背景を持つ人を出したい」と抱負を語った。



記録後記
参加者が全員アーティスト、ということで、展示の構成、作品の見せ方のについての建設的で鋭いフィードバックが実現した。また、参加者の世代や文化背景も多様だった為、コンテンツやテーマ性についても、様々な解釈、疑問、提案が出された。わたなべのアーティストとしての独自の制作へのアプローチが浮き彫りになり、また、今後の課題や方向性についても、参加者の質問に応える過程を通してより明確になっていったようだ。セッション後、わたなべさんから、とても有効な時間だった。自分の作品についてこのように話を持つ機会は少ないので、とコメントを頂く。司会の進藤は今回通訳をしながらの進行だったが、作家も参加者も積極的に話したセッションだったので難はなく。通常もなるべき進行は最小限に、自然発生的に対話が生まれ進むセッションになるのが理想。