2012年12月5日水曜日

Vol.18 「それぞれの30 /own thirty」


日時 2012.12.5

展示タイトル(期間):それぞれの30 /own thirty (2012.11.30-12.9)
展示作家:長坂絵夢、吉川菜津乃、井澤由花子、新藤杏子
参加者(敬称略):展示作家、ニコラス・バスティン、ジェイミ・ハンフリーズ
司会:進藤詩子
記録:村田弘子



<吉川菜津乃作品>
ニコラス:(フロアピースについて)作品は神社を意識しているのか?手が届かない建築物の中にオブジェが入っていてお供え物のようだ。
吉川:特にそれを狙ったわけではない。
長坂:素材から、身近なものへの愛着の表現がねらいとしてあるのか。また、タペストリー(壁面)は作品の価値の重みが違うか?
吉川:素材によっては、ここはいいなという部分はあるが、作品全体が大事なもので出来ているのではない。安価で手に入ること、実用性、作りやすい、といったことが素材選びのポイントとなる。
井澤:なぜ西新宿、山手線がテーマに?
吉川:大学時代に金沢で暮らし、異なる環境にいたことで、改めて東京という風景を考えてみたいと思った。
長坂・井澤:見直し、改めて気づいたことは?
吉川:なぜこんなに混んでいるのだろう、ということ。また、風景から見てとれる形とか、場所について改めて意識が向いた。
ジェイミ:作者として、中立的な立場をとっているのか?文明批判ではない、中に入ることはできない、でも雲が要素としてとりつけられている。新宿なら入れない分からない場所もあるだろう、など想像するが。。。どういう風に読み取って欲しいのだろうか?
吉川:形やディテールに注目しているのではなくスケッチ、感じたことのアウトプットということから本作は構成されている。

<井澤由花子作品>
ニコラス:(人が水を泳いでいる作品について)何が起きているのか?羊水の中にあるような印象。
井澤:羊水の中で生きている人たち、生まれる前に見ている世界を描いている。溺れているというよりかは浸かっているという感じを表現している。
ニコラス:(隣の作品について)もっと大きなスケールだと面白くなるのではないか。美して怖い夢のような。あるいは血管のような印象だ。
井澤:キレイだけでは語れない、子を産むという経験が背景にある。サイズを大きくすることは検討しているが、(紙に水彩で描きフレームする手法にあう)目の前を覆い塞ぐような大きなサイズの紙がないという、テクニカルな問題がある。だがいずれ実現したい
長坂:絵の説得力が出産前(前者の作品)と後(後者)で異なる印象だ。出産前は私たちもどこかで見たことある様な風景。日常で見てきたものを元に構成されたイメージであって具象である。出産後は明らかに実体験した井澤さんにしか感じ取れないイメージが出ている。そして逆に抽象表現になっている所が面白く強さを感じる。
井澤:(前者の作品は)妊娠中に描いた作品で、自分の胎内の世界を想像して描いたもの(後者の作品は)実際に出産を経験した事で、胎内の世界から今我々のいる世界へと世界が激変する様子を描いている
新藤:コンピューターゲームをやっている時に出てくる、次のステージに行く前に現れる背景の画面に似ている。
井澤:※自分はコンピューターゲームはあまりしないので、そういうイメージはないが、今まで実際に見た木々や建物、出会った人、のイメージは断片的に入っているかもしれない。
進藤:紙のサイズについてリミットがあるならば、壁面に直接描くことは想定できるか?
井澤:以前やってみたが、やはり自分は、難しけれども一枚の絵にある世界観を収めることがしたいと思った。しかし適したスペースがあれば現場で描くこともやるかもしれない。

<新藤杏子作品>
ニコラス:誰が何をしているのか?思わず問うてしまう。詳細な絵巻物の中での登場人物の描き方を彷彿とさせる。
新藤:江戸時代の絵、日本画の素材。岩絵具、滲みの技法を意識したり、取り入れている。本作が描いているのは、自分が30日間入院した際にであった人が何かをしている様子である。
ジェイミ:色使いが面白い。
新藤:絵の具の重さの比重によって、グラデーションが掛かっている。
ジェイミ:新藤さんが持った一人一人との半直接的な関わりのように、鑑賞者と一つ一つ(一人ひとり)がもっと関わりを持てるような見せ方があるのではないか?今のままだと流して見たり、通り過ぎでしまうかもしれない。例えば、本のように一枚一枚ページを捲り対面するような見せ方など考えられるか。
弘子:セッションの後、ここで別の見せ方を色々試してもいいし、又は次の機会に生かして欲しい。
進藤:例えば、まさに絵巻物のように登場人物をもっと小さくしたら、見る人は画面に近づき惹きつけられるかも。
長坂:以前の作品はシンボリックな印象だったけど、大きな怪我と入院経験を経て、実社会との距離を縮めたのだろうか、描かれる人体に具体的な「キャラクター」を感じる。
ニコラス:登場人物がそれぞれに物語性を持っている、豊かなタペストリーのようだ。
井澤:以前は衣服を着ていない人物が描かれていて、新藤の中にある営みが描かれていた。それが、本作では他人が描かれるようになっている。絵画表現は似ているが。怪我がきっかけか?
新藤:非日常を経験して、以前のような普遍的なことへの興味が弱まり、明確なものや人から人生を見るように変わった。入院生活は、嫌でも一緒にいなくてはいけない他の入院患者の人たちと、内的な公的スペース=病院にいることであった。

<長坂絵夢作品>
長坂:工芸科出身なこともあり、素材は自分の制作において大事な要素。中・高校と絵を描いていたが、大学で自分の表現が分からなくなった、という経験がある。自分の作品は、絵を描くことと素材を扱うことが同在している。(壁面のドローイングは、スチールウールとの作業の対話であり、絵でもない。作品をつくっているのではなく、素材との関係性を探る作業といった方が良いかもしれない。
ニコラス:壁面のプレートは、写真を彷彿とさせる。身近な人や自然が写っているようだ。
長坂:描いている、作っている過程で、神秘性が顔を出したり、私の心が変化する、それが自分にとって面白い。
ニコラス:表面が二面、三面になっている印象で、素材への繊細な感覚が表れている。
井澤:(プレート)作品の大きさが長坂らしいと思う。
長坂:(壁面作品について)学生時代からインスタレーションの手法で、空間を使って伝えたいことを伝えることを始めた。ここでは、自然への憧れ、平和的な日常を願っている。道具を使わずに編む、こちらから日常に託していると言えるかもしれない。縫い物や編み物を日常的によくする。今回はそうした身近にある行為を表現の手法に取り入れたかった。研磨材であるスチールウールは、磨くほど消耗していくもので私たちが日常を維持することや何かを大切にしようとする行為や想いというのを磨かれていく対象物との関係に喩えたもの。
進藤:そして、日常に潜む不安や日常の不安定さが表れているように感じる。
ニコラス:スチールウールと気づかなかった。非常に過酷で同時に豊かな印象だ。毛糸とは異なりドメスティックさを感じさせない視覚的なインパクトがある。
弘子:他の作家さんを見ていても感じることだか、ずっと使いたいと思っていた素材や、やりたいと思っていた作品は、深めてきた表現が出る場合が多い。また、さびたら脆くなって壊れてしまうこの素材は印象的。習作(プレート)と並べずに完成作品だけを見せるので十分な空間サイズかもしれない。

<展示全体について>
進藤:正直な展示
ニコラス:30代という同じ世代でも個々人が異なる風景を描いている。
長坂:大学卒業後、作家がしたいようにできる展示の機会は少ないと感じてきた中で、自ら企画し展示を作りあげる機会を持てて、やって良かったと感じている。


記録後記
日常や人生から得た「気づき」が、創作活動に反映されているのが、本企画展の作品群の一つの特徴のように感じれ、それが企画展の名前と見事に一致しているのが印象的であった。素材、テーマ、制作行為の捉え方など、各作家に課題があることが、認識あるいは再認識されたセッションだった。ニコラスやジェイミなど、本展や作家についての予備知識がほとんどない参加者が、的を得た問題定義を多く出した点に、鑑賞者に作品を見せること(展示発表)、客観的な議論の場を持つこと(クリティークセッション)のベネフィットを改めて確認した。

2012年9月21日金曜日

Vol.17 「佐藤譲二個展」&「These Fleeting Few」&「スギナミ スカイ」

日時 2013.9.21
展示タイトル(期間): 
「佐藤譲二個展」(2012.9.5-23) & 「These Fleeting Few」(2012.9.19-23) &「スギナミ スカイ」 (2013.9.12-23 
展示作家:佐藤譲二、カタリナ・テュカ、ジェレミー・バッカー
参加者:村田弘子、サム・ストッカー、その他作家友人多数
進行:進藤詩子 
記録:椛田有理

2012年9月1日土曜日

Vol.16 「unforgettable landscapes#1 (pigeon loft)」


日時 2012.9.1
展示タイトル(期間):unforgettable landscapes#1(pigeon loft) (2012.8.29 - 9.2)
展示作家:坂本夏海
参加者(敬称略):村田弘子、池田哲、カタリナ・テュカ、ジェレミー・ベーカー、サム・ストッカー、他作家友人多数(のべ20名ほど)
司会:進藤詩子    
記録:椛田有理


作家による展示解説>
「インタビュー」という手法によって得られた題材を発展・展開させることで他者の“記憶”を描いている。今回の場合、具体的にはある人物(作者の友人)の亡くなったおじいさんの鳩小屋の話を題材に、話から想像を膨らませて描いた作品と、インタビューで得られた「鳩小屋」というキーワードに絞り、それをネット検索などを用いて得られた画像を基にした作品の二種類を展示している。話からダイレクトにイメージを膨らませた作品は大ぶりのもの。小品は派生するイメージのものと、作品の大きさを明確に分けて展示することで明快な差別化を図っている。
今回までの制作では自己の原風景・内的な記憶を題材としてきたため、この他者の記憶を追跡するインタビューという”外的“な手法は本展覧会が初となる。今までの己を対象とした内に籠もる制作よりも、他者を題材とした今回の制作の方が他者である鑑賞者にはより理解しやすいだろう。
ビデオやパフォーマンスなど、ペインティング以外の手法を多く手掛けていたため、ペインティングは久しく制作していなかった。だからペインティングならではな意見を聴いてみたいと思う。

<意見交換>
サム:建物(=鳩小屋)の記憶と言うが、「建物」そのものが抱える記憶か。建物にまつわる記憶か。
坂本:他者の記憶の風景が建物であった。(絵では「建物」の抱える記憶も同時に描いていたことになる...)
自分が行ったことのない場所を描くには、外的な情報資料が必要だった。
それでネット検索などで調べたのだが、戦時中のスパイ鳩、台湾の鳩小屋など具体的なまま描いている。
進藤:タイトルの“Landscape”の解釈とは?
坂本:インタビューは他者の記憶の追体験に他ならない。人の記憶はその人自身の体験に裏打ちされ、それはその人が見たであろう光景=Landscapeを包含する。
過去に誰かを追いかけるパフォーマンスのビデオ作品を制作したことがあるが、もともと誰かという他者を追跡するということには興味をもっていた。

ジェレミー:何故ペインティングのみなのか。過去には他のメディアも扱っていたが?
坂本:準備期間など、制約があったということもあるが、今回求めていた、ひとつのモチーフ(鳩小屋)に対して複数の視点を共存させるにあたり、ペインティングという手段は適していた。
カタリナ:イマジネーションのもとに描かれているものと、何か具体的な対象があって描かれているものの二種ということは説明を聞かずとも見ただけで判ったが、二種のペインティングに物理的な大小の差をつけたことがそうした差をより分かりやすく提示したのだろう。
進藤:何故異なる世界を表わすイメージを混在させたかったのか。
坂本:そうすることでパーソナルな内的な記憶から、異なる人間の記憶へと繋がると感じた。
人が世界の殆どの風景に足を運んだ経験がなくともそうした光景を包含した“世界”のイメージを持てるのは、他者の提示する外的な情報によって内的な“世界”というイメージは拡張されているからだろう。
ジェレミー:夢と現が混ざったかのようなペインティングに対し、音への加工が無いのはもったいないのでは。サウンドの持つ可能性を感じる。
坂本:音の加工については考えてはいなかったが、ペインティングという分野は音を排除したがる傾向にあると経験的に感じていることも作用しているのだろう。音については今回は無い状態をベースに考えていた。
進藤:現時点では音は副次的な要素か?
坂本:現時点では。

作家友人:自己の記憶ですら(制作時に)脚色しているが、他者の記憶の脚色の場合、それは異なるのだろうか。
坂本:その点については変わらない。どちらも他者に見せる、他者の経験になるという前提で制作しているので制作の上では感情を極力排除している。表面的な色やイメージは異なったが、作品を作り上げるメソッド自体は同じ。
進藤:他者に共感されるために他者の記憶を用いたのか?
坂本:はい。
進藤:実際には制作者が話者にまず共感があったから制作したのでは?
また鑑賞者にとって作者の内的な記憶と他者の記憶とに違いは無いのではないか。
坂本:実際今回は共感のある対象にインタビューを行ったが、目指す方向としては作品に自己を対象とした内的な制作では得られない匿名性を求めている。この匿名性は、作者として共感のできないような対象を含む不特定多数にインタビューを行うことによって顕著になるものだと思う。
話者:自分のインタビューが具体的にどう反映されたのか、“共感”出来ているわけではないが、この作品はあの話が基となっている、と見てとれる作品はあり、そうした“発見”は感慨深い。
進藤:自分の話からできたように感じられない作品はあるか。
話者:あります。


記録後記 
今回の展示・制作を深く掘り下げるよりも、作家の制作の全体像を浮かび上がらせるものとなった。当初作家が期待していたペインティングならではという意見は結果乏しくなったが、そもそも発言者にぺインターが少なかった。ぺインターの参加者からの活発な発言を掘り起こせたなら、より深い議論へと発展できたのではと思う。